『山月記』を、AI時代の承認欲求として読み直してみた

中島敦の『山月記』を題材にした本を書きました。

書名は、

『山月記を知っているつもりだった』

です。

学生時代に国語の授業で読んだ人も多い作品だと思います。

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」。

この言葉だけは、今でも強く記憶に残っている人が多いのではないでしょうか。

ただ、学生時代に読んだ『山月記』と、大人になってから読み返す『山月記』は、かなり違って見えます。

若い頃は、李徴という人物をどこか遠くの存在として読んでいました。

才能はあるのに、人とうまく関われない人。

自意識が強すぎて、自分で自分を追い詰めてしまった人。

そういう少し極端な人物の物語だと思っていました。

でも40代後半になり、転職活動をしたり、AIを使って文章を書いたり、自分で本を出版したりする中で読み返すと、まったく違う印象になりました。

李徴は、特別に変な人ではありません。

むしろ現代にかなり多いタイプの人かもしれません。

目次

李徴は、今の時代にもいる

李徴は才能がなかったわけではありません。

むしろ、才能はありました。

ただ、その才能をどう扱えばいいのか分からなかった。

評価されたい。

認められたい。

でも、評価されなかった時に傷つくのが怖い。

だから人を避ける。

でも、本当は認められたい。

この矛盾が、彼を少しずつ追い詰めていきます。

これは現代にもよくある話だと思います。

SNSでは、毎日誰かが評価されています。

noteを書けば、ビューやスキが見えます。

ブログを書けば、検索順位やアクセス数が見えます。

Kindleで本を出せば、売上レポートが気になります。

AIを使えば、昔より簡単に文章や画像を作ることができます。

だからこそ、以前よりも「作ること」は身近になりました。

しかし同時に、

作ったものが評価されるかどうか

も、以前より見えやすくなっています。

この時代に『山月記』を読むと、李徴の苦しさは昔の文学作品の中だけにあるものではなく、かなり現代的な問題として見えてきます。

この本は『山月記』の解説本ではありません

今回書いた本は、『山月記』の内容をただ説明する本ではありません。

もちろん、作品の流れや李徴の心理には触れています。

しかし目的は、正解を解説することではありません。

私がやりたかったのは、

『山月記』という作品を、今の時代からもう一度観測すること

です。

李徴はなぜ虎になったのか。

なぜ才能がありながら、孤独になっていったのか。

なぜ人に認められたいのに、人と関わることから逃げてしまったのか。

そして、その姿はAI時代を生きる私たちと、どこか重ならないのか。

そういう問いを、自分の言葉で追いかけた本です。

AI時代だからこそ、『山月記』が刺さる

AIによって、文章を書くことや作品を作ることのハードルは下がりました。

私自身も、AIを使いながら文章を書き、考えを整理し、本を作っています。

これはとても面白い変化です。

以前なら、頭の中にあっても形にできなかったものを、今はかなり早い速度で形にできます。

ただ、その一方で怖さもあります。

作れるようになると、今度は評価が気になります。

読まれるのか。

売れるのか。

誰かに認められるのか。

自分が作っているものには、本当に価値があるのか。

この問いは、AIを使うほど強くなる部分があります。

だから私は、『山月記』を単なる古典作品としてではなく、

AI時代の承認欲求を考えるための作品

として読み直してみたいと思いました。

李徴は、才能を持っていました。

でも、その才能を自分自身の人生にうまく接続できませんでした。

評価されたい気持ちが強すぎて、かえって自分を孤立させてしまいました。

これは、現代のクリエイターや発信者にも起こり得ることです。

承認欲求は悪者ではない

本の中で大事にしたかったのは、承認欲求をただ悪者にしないことです。

人に認められたいと思うこと自体は、自然なことです。

文章を書いたら読まれたい。

本を出したら売れてほしい。

仕事をしたら評価されたい。

それは当たり前の感情です。

問題は、承認欲求そのものではありません。

問題は、

承認されるために自分を見失ってしまうこと

だと思います。

李徴の悲劇は、才能があったことではありません。

承認を求めたことでもありません。

自分の才能と、自分の弱さと、他者との関係をうまく扱えなかったことにあるのだと思います。

これは、40代後半でキャリアを考え直している自分にとっても、かなり他人事ではありませんでした。

転職活動をしていると、自分の市場価値を意識します。

ブログを書いていると、検索順位が気になります。

noteを書いていると、スキの数が気になります。

Kindle本を出すと、売上レポートを見てしまいます。

そういう自分自身も含めて観測しながら、『山月記』を読み直したのがこの本です。

古典を、今の自分に引き寄せて読む

古典作品は、ただありがたく読むものではないと思っています。

昔の作品を、今の自分の問題として読み直す。

そこに面白さがあります。

『山月記』は、短い作品です。

でも、その中にはかなり深い問いがあります。

才能とは何か。

プライドとは何か。

恥とは何か。

人に認められたい気持ちと、傷つきたくない気持ちは、なぜ同時に存在するのか。

そして、人はなぜ自分で自分を追い詰めてしまうのか。

この問いは、今の時代にも残っています。

むしろ、AIやSNSによって、以前よりも見えやすくなっているのかもしれません。

こんな人に読んでほしい

この本は、次のような人に読んでもらえるとうれしいです。

・学生時代に『山月記』を読んだけれど、内容をあまり覚えていない人
・大人になってから『山月記』を読み直してみたい人
・承認欲求について考えたい人
・SNSや発信に少し疲れている人
・AI時代の創作や自己表現について考えている人
・40代以降のキャリアや生き方を見直している人

『山月記』は、昔の文学作品です。

でも、そこに描かれている苦しさは、今でもかなり生々しいものです。

特に、何かを作りたい人、何かを発信したい人、自分の才能や価値について考えてしまう人にとっては、思っている以上に近い作品だと思います。

おわりに

今回の本は、『山月記』を正しく解説するための本ではありません。

私自身が、AI時代を生きながら、李徴という人物をもう一度見つめ直した記録です。

そして同時に、

承認欲求に飲み込まれずに、自分の表現とどう付き合うか

を考えるための本でもあります。

李徴は虎になりました。

では、現代の私たちは何になるのでしょうか。

SNSの数字に飲み込まれるのか。

AIの便利さに飲み込まれるのか。

それとも、自分の中にある虎を観測しながら、それでも何かを作り続けるのか。

そんなことを考えながら、この本を書きました。

興味があれば、ぜひ読んでみてください。

『山月記を知っているつもりだった』
Amazon Kindleで販売中です。

山月記を知っているつもりだった: AI時代の観測者が読み直した李徴 AI時代観測録

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