洗濯機を回すことはできる。干すところまでもできる。取り込むこともできる。
それなのに、なぜか畳むところで止まる。
気がつけば、乾いた洗濯物がベッドやソファの上に積まれている。そこから必要な服だけを取り出して着て、残ったものはまたそのままになる。
洗濯そのものが嫌いというより、最後の「畳んで収納する」という工程だけが妙に重い。
こうしたことは、単なる面倒くさがりで片付けられがちだ。しかし洗濯を一つの作業ではなく、いくつかの工程に分けてみると、途中までは問題なく進むのに特定の地点だけで止まる理由が少し見えてくる。
洗濯は「洗濯機を回すこと」ではない
洗濯という言葉から最初に思い浮かぶのは、洗濯機に服を入れてスイッチを押す作業かもしれない。
実際には、その後の工程のほうが多い。
洗濯物を集める。洗濯機に入れる。洗剤を入れる。洗濯機を回す。終わったら取り出す。干す。乾いたら取り込む。畳む。収納する。
乾燥機を使えば一部は省略できるが、それでも最後には衣類を取り出して、それぞれの場所へ戻す作業が残る。
つまり「洗濯する」は一つの行動ではなく、時間をまたいで続く複数のタスクでできている。
しかも、途中で待ち時間が入る。
洗濯機を回したあと、別のことをする。干したあと、数時間から半日ほど別の生活に戻る。そして乾いた頃に、もう一度洗濯というタスクを再開しなければならない。
この「何度も再開する」という構造自体が、洗濯を面倒にしている可能性がある。
なぜ「畳む」で止まりやすいのか
洗濯物を畳む作業は、それほど難しくない。
それでも後回しになりやすい。
一つの理由として考えられるのは、畳む工程には明確な締め切りがないことだ。
洗濯機の中に濡れた衣類を放置すれば困る。干さなければ乾かない。外干しなら雨が降る前に取り込む必要もある。
しかし、取り込んだ後の服は、そのままでも一応使える。
畳まなくても着ることはできる。収納しなくても、山の中から探せば済む。
そのため、「今すぐやらなければ困る」という圧力が急に弱くなる。
洗濯という作業の中で、畳む工程だけは比較的簡単に先送りできる。
その結果、最も後回しにされやすい工程になる。
「畳む」だけで終わらない
もう一つ気になるのは、実際には「畳む」だけではないことだ。
服を種類ごとに分ける。靴下のペアを探す。タオルを揃える。シャツを畳む。下着を分ける。それぞれを収納場所まで持っていく。そして引き出しや棚に戻す。
つまり、洗濯物の山を見たとき、人は単純な「畳む」という作業ではなく、その先の細かな分類や移動まで含めて見ている。
10枚の服を畳むだけなら数分でも、実際には「10枚をそれぞれ正しい場所へ戻す」という判断が追加される。
こう考えると、問題は畳み方ではなく、収納まで含めた工程の多さにある場合もありそうだ。
本当に全部畳む必要があるのか
ここで少し疑ってみたい。
そもそも、洗濯物は全部きれいに畳まなければならないのだろうか。
もちろん、畳んだほうが収納しやすい服もある。シワになりやすい衣類もある。
一方で、下着、靴下、部屋着、タオルなどは、生活スタイルによっては細かく畳まなくてもそれほど困らない。
たとえば収納ボックスを種類ごとに分けて、下着は下着の箱、靴下は靴下の箱、タオルはタオルの場所へそのまま入れる。
ハンガーで干した服は、乾いたらそのままクローゼットへ移す。
「洗濯物は取り込んだら畳む」という昔からの流れを前提にしなければ、工程そのものを減らせる可能性がある。
生活の摩擦を減らすときには、効率よく作業する方法だけでなく、その作業を本当にやる必要があるのかを見ることも重要になる。
収納場所が遠いと、それだけで作業が増える
洗濯物を畳めても、収納するところで止まる場合もある。
タオルは洗面所、下着は寝室、普段着はクローゼット、靴下は別の引き出し。
収納場所が家の中に分散していれば、それぞれを運ぶ必要がある。
一つ一つは小さな移動でも、洗濯物の種類が多いほど往復が増える。
この場合、「畳むのが面倒」と感じていても、実際に負担になっているのは収納場所かもしれない。
よく使う衣類だけでも洗濯物を取り込む場所の近くに集めれば、最後の工程は短くなる。
問題を「洗濯が嫌い」とまとめてしまうと気づきにくいが、細かく見ると、どこに摩擦があるのかは家庭ごとにかなり違う。
家事は「最後の5分」が残りやすい
洗濯に限らず、家事には途中までは進むのに最後だけ残ることがある。
食器は洗ったが、食器棚へ戻していない。
掃除機はかけたが、掃除道具を片付けていない。
ゴミはまとめたが、玄関に置いたままになっている。
料理は終わったが、鍋だけシンクに残っている。
興味深いのは、残っている作業の多くが数分程度で終わることだ。
時間が長いからできないとは限らない。
一度「主要な作業が終わった」と感じたところで気持ちが切れ、最後の処理だけ別タスクとして残ってしまうことがある。
洗濯でいえば、取り込んだ時点で頭の中ではある程度「洗濯が終わった」ことになっているのかもしれない。
そこから畳んで収納するには、もう一度作業を始める必要がある。
「最後までやる」より「最後をなくす」
こういうとき、「取り込んだらすぐ畳む習慣をつけよう」と考えることもできる。
もちろん、それが続く人なら一番簡単だ。
ただ、毎回同じ地点で止まるのであれば、その地点を意志の力で突破し続けるより、構造を変えたほうが楽かもしれない。
畳まなくていい服を増やす。ハンガーのまま収納する。収納場所を近づける。衣類の数自体を減らす。取り込む場所と収納する場所を同じにする。
つまり、
最後まで頑張る仕組みを作るのではなく、最後の工程そのものを小さくする。
生活の摩擦を考えるとき、この発想はかなり使えそうだ。
「できない家事」ではなく「止まる地点」を見る
洗濯物が畳めないと、「自分は家事が苦手なのかもしれない」と考えてしまうことがある。
しかし、洗濯機を回し、干し、取り込むところまでできているのであれば、洗濯全体ができないわけではない。
止まっているのは、その中の一部分だけだ。
だったら「もっとちゃんと家事をしよう」と考えるより、「なぜここだけ止まるのか」を見たほうが解決しやすい。
風呂キャンセルではドライヤーが摩擦になることがある。外出キャンセルでは身支度や荷物準備が摩擦になることがある。そして洗濯では、畳むことや収納することが摩擦になる。
生活の中には、こうした小さな「止まりやすい地点」がいくつもある。
一つずつ見つけて、不要な工程を減らす。
それだけでも、毎日の面倒は少し軽くできるのかもしれない。
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